痛い身体を優しく慰めてあげてほしい
20年ほど前、交通事故に後遺症が残る(#前向性健忘 などの #高次脳機能障害)と診断された時、激しいショックと数年のリハビリの後になんとか少しだけ働けるようになった。
その後、同じ病状の人の希望になればと思い情報を発信しだしたが
その情報発信には色々とあり、ずいぶんと叩かれ、炎上もした。
私がまとめたレポートには、同じ病状の人にとって希望もあれば絶望もあったのだろう。
私は希望と絶望は同時に存在し、決して隠してはいけないという信念がある。仮にそれが受け入れられない弱者がいたとしても、そのような人は私のレポートを見るべきではないと警告している。
仮に絶望しか見出せないレポートであっても、そこから希望を読み取れる人もいるはずだと信じていたが
残念ながら脳にダメージを負ったほぼ全ての人にとって、私のレポートは害悪にしか映らないらしく、私はレポートをやめてしまった。
そもそも、私の文章力では、彼らに気持ちは伝わらなかったのだろう。
実は私は、元来は非常に筆不精でメモを取ることを一切しない男だったらしい。
聞いた事は一度で全て覚えてしまう為、交通事故以前のなんのメモも残っていない。
交通事故以後、ひたすらメモを取り、書いたものをさらに写真に撮るという癖がついた。
車のナンバーどころか、駐車した場所さえ忘れてしまうので、駐車した車の写真もたくさん残っている。
病院の予約票を貰えば、それを写真に撮り、契約書を交わせばそれを写真に撮る。
わたしのアルバムは、おそらくわたし以外には意味不明な写真が大量に貯蔵されている。
人間はいつか働けなくなる。
全力で働けなくても、収入が入るならいいが
そんな人ばかりではない。
労働時間は伸びる傾向にあるが、私はひたすら短くするよう努めてきた。
最近は障害の話はほとんどしていない。
何の利益にもならず、交渉にとって逆にマイナスに働く可能性もある。
話せば金になるのなら話しても良いが、おそらく期待しているような希望的観測は私は言わないだろう。
障害者は今後も差別され続ける。
人間は、その隠した凶暴性を障害者に向け続けるだろう。
パラリンピックなど、障害者でも活動できる事を証明させる言い訳にしか使われないのだ。
私はパラリンピックに何の希望も見いだせていない。
私の苦悩を理解して欲しいとは思わない。
私の痛みを知って欲しいとは思わない。
勝手に私の気持ちを代弁したり、共感して欲しくはない。
私はただ、私の失敗をみて、私の失敗を貴方に繰り返して欲しくないだけだったのだ。
しかし私の希望は理解されない。
私の真意は気づかれない。
消えていく友人を見送りながら
私は今も、痛みを和らげ命を長引かせる薬を手にして
これを飲むべきか悩み続ける。
万人に向けて言えることは
もう辛いことはやめよう。
痛いことはやめよう。
悲しいこともやめよう。
身体を痛めつけてまで働くのもやめよう。
我々は地球上で最も凶暴な怪物だ。
その群れの中で、私は優しくありたいと思う愚かな個体でありたい。