スペインアニメ映画「しわ(原題:皺)」 己に老いを感じなければ本当の意味は分からない
本日、早稲田松竹にて映画「しわ」をやっていたので
当日に観に行ってきた。
原作はこちら
一言で言えば、悲しく残酷で、そして現実の、しかし隠された事柄を描いた映画。
老人のアルツハイマーというのは
我々高次脳機能障害にも通じるものがあるが、その記憶力が徐々に削られていく様は
なんとも痛々しい。
ネタバレも含めるので、ここからは読みたい方だけにしてほしい。
主人公は二人、エミリオとミゲル。
当初、出てきた時から、どうも私はミゲルの方にばかり感情移入していたのだけど
利己的なようでいて、実はとても悲しい人。
エミリオは自分がアルツハイマーである事に当初は気が付かず
最初、財布や金時計が盗まれた事をミゲルのせいにしようとする。
最後は靴下までも盗まれたと主張して、部屋の棚をひっくり返し、ミゲルの財産と靴下を見つけてしまう。
これは後に、ベッドの下に、靴下で隠した財布と金時計をミゲルが見つけてしまうのだけど
深読みすれば、おそらく靴下が無くなったと主張した時点でエミリオは自分の症状に気が付いていたと考えられる。
なぜなら、靴下の一足ぐらい、無くしたからって大騒ぎする事ではないはずなのだ。
自分自身で隠した(そして忘れた)という事実から目を背けようとして、ミゲルを激しくなじったのだと思われる。
たぶん、なんとなく感づいていたのだろう。
彼が自分自身、アルツハイマーであった事に気が付いてしまい
その激しい苦悩の時間は、皮肉にも彼の症状を進行させてしまう。
そしてミゲルが貯めこんだお金での最後のドライブが、彼に決定的なダメージを与えてしまう。
彼が2階に上がった後、上記財布や金時計の件に気が付いた彼は
自分も2階に上がり、彼の介護を引き受ける事にした。
あの2階がどんな所か、もっともよく知っているのは彼だっただろうに・・・。
それを「素晴らしい友情」と考えるのは、たぶん一般の観方だと思う。
それは否定しないのだけど
俺はそこに家族のいないミゲルの家族愛をみつけたのではないだろうかと思った。
老人ホームという場所は特殊な場所で
クリスマスにでもならないと、家族は面会には来ない場所だ。
あそこは・・・家族から隔離された独特の世界を保っている。
そこで精神を正常に保つ事は、とてもつらく苦しい事であり、その中で気丈に生きれるのは
家族のいなかったミゲルぐらいであろう。
そして、家族のいないミゲルであったからこそ
結果的に老人ホームで知り合ったエミリオに、まるで家族のような愛を感じたのかもしれない。
なぜそう思うか?
ラストで、モデストとエミリオはまったく同じ反応を見せる。
ロックフェラーというあだ名に彼はニヤっと反応する。
この反応は、モデストの妻ドローレスのささやきとまったく同じ事だが
老人ホームにおいて、この笑顔はこの二人だけだ。
エミリオが本来、この笑顔をするなら家族にではないだろうか?と考えるのが筋だと思う。
だからこそ、エミリオとミゲルは、家族になったのではないだろうか?
まぁ、すべては私の独断と偏見ですけどね。
映画公式サイト
http://www.ghibli-museum.jp/shiwa/
現在、DVDなども発売しているので
映画館が遠すぎる方にはこちらから購入をお勧めします。
この老いを見ていると、私の障害初期をみているようで、とても辛かった。
一歩間違えば・・・あの2階に入っていくのは自分だった気がする。
仮に老人をたくさん見ていたとしても、介護をしていたとしても
本当の老人の気持ちというのは、介護される側にならないと分からないのではないかと思う。
DVDもあるが、出来るならぜひ映画館で見て欲しいと思う。
いまなら早稲田松竹でやってます(2013年11月9日から11月15日まで上映)
http://www.wasedashochiku.co.jp/lineup/nowshowing.html